一昨日、中学の同級生の訃報が届いた。
中学卒業以来会ってはいないのだが、モノづくりの世界にいることを風の噂に聞き、
いつかきっとどこかで会えると思い、楽しみにしていた。
無念だったろうなあ。まだやりたいこと沢山あっただろうなあと思う反面、
四半世紀以上会っていないためか像が結ばない。
作業中彼のことを考えてみる。しかしやっぱりリンクしない。
僕は、昨日今日といつも通りの日常を過ごした。
申し訳ないような寂しいような、でもいつもの僕のうわついた日常がある。
今の僕の日常。
後輩が結婚するので、その引き出物の制作。
学生時代一緒にラグビーをやった。
一緒に酒を飲んで大騒ぎした。
その彼が事件だか、事故だかに巻き込まれて、身体に障害が残っている。
「医者に死なないのがおかしいって言われました。」と快活に笑いながら言う。
すってきな彼女を連れて展示会に来てくれた。すごいうれしかった。
嬉しいも悲しいも寂しいもみんな一緒くたにして生活している。
みんなそうなんだよね。
今読んでる天童荒太の「悼む人」主人公、静人の言葉。
「私は冥福は祈りません、その人が誰に愛されていたか、誰を愛していたか、どんなことで人に感謝されたか。そのことによってその人を覚えているだけです。」
なくなった同級生のことを覚えているという自己満足によって彼を送ろうと思う。
そして祝福のための制作を明日も続けます。
コメントをお書きください