ホントはこんなとこで書くべきものじゃないと思います。
申し訳ありません。
今年、7月26日に父が他界いたしました。
84歳でした。
長らく腎臓の病気を抱え、しばらく透析もいたしておりました。
食事療法のため食べたいものが食べられない状況が長く続きました。
指が曲がらなくなり、触覚も薄れていっていたと思います。
白内障、緑内障を患い、視覚もなくなっていきました。
それこそ一つずつもがれるようにして感覚を失っていきました。
それでも最後までよく戦っていたと思います。
父は兄弟が多かったため、病室にあふれんばかりに家族親戚が集まりました。
病院の先生からは
「角居さんしあわせやねぇ。みんなに見送ってもらえるんやねぇ」
って言って頂きました。
海外に居て駆けつける事の出来ない従兄弟以外は全員集まりました。
みんなが集まるまでよくぞ持ちこたえてくれたと思いました。
昭和一桁生まれなりの頑固さもありました。
美大に進路を決めたとき、衝突しました。
父の会社に出向いて説得しました。
父のフィールドだと激高しないと踏んでの行動だったかなぁ、あれは。
大学を休学してアフリカへいくと告げたときも衝突しました。
反論する程勇気もないので、
準備を着々と進めて既成事実を作って行きました。
反抗期でしたから。
ちゃんと僕のやりたい事の前に立ちはだかって壁を作ってくれた。
おかげで信念が揺るがずに済んだ。
父としての僕はここが非常に弱い。甘い。
酒の席での父はとても楽しい人だったようです。
葬儀の直会(なおらい)の席で父のアルバムを公開し、
父の宴会芸の数々の記録で
これが葬儀の席かと思う程の笑いの絶えない直会となった。
病室で戦う時間が長かったので、他界した瞬間
悲しさよりも感謝でした。
よくがんばってくれた。ようやく楽になれたね。
喪中につき新年のご挨拶を控えさせて頂きます。
父はいま高いところから見守ってくれているのだと思います。
皆様、今後ともよろしくお願いいたします。
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