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2013年

11月

26日

高天原

高鴨神社に程近く、少し斜面を登ったところ、

(歩くとだいぶかかるかもしれません。車で行きました。)

高天彦神社(たかまひこじんじゃ)にも行って参りました。

高鴨神社の鈴鹿宮司がここの宮司もしておられ、普段は無人かと思われます。

 

高天彦の名で想像する通り、その場所は高天原(たかまがはら)であるとされており

高天彦神社の主祭神は高御産巣日神(たかみむすびのかみ)

万物生成の元になっている非常に抽象性の高い神様で、

神の中の神、普通の神と分ける為に別天津神(ことあまつかみ)と呼ばれる中心に位置する五柱の神のうちの一柱です。

先日、東京ギャラリー川船での個展で展開した作品群「神話の風景」の

一番ベースになっている「天地開闢(てんちかいびゃく)」に深く関わっている神様。

まさに天地開闢のその地に行ってきたのです。

 

新嘗祭の翌朝、鈴鹿宮司のお宅近く、葛城の地を一望する山の斜面で

宮司と二人、朝日の中あぜ道を散歩をしながらいろんな話を聞かせて頂きました。

その中で特に印象深かった、フランスの博物館の学芸員の方の話で

「世界中の文化は西側に山の斜面を背負い、朝日を迎えるようにして発祥しています。

それ以外はありえない。」というものがありました。

以前、諏訪の御劔神社の宮坂宮司にミシャグジ様の史跡を案内して頂いた時の言葉とまったく一緒でした。

 

人が意識を獲得し、社会生活を始め、信仰を持ち文化を創る。

僕の想像していた「はじまり」の根幹に、その原初の人達がみた風景に、

今自分が立っているのだと思うと、

そして、今自分の制作テーマの核になる部分に触れているのだと思うと

身震いする思いでした。

 

まだ、僕の中できちんと整理できてはいませんが

この旅での体験がこれからの制作に大きく関わっていくのだろうと思います。

 

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2013年

11月

26日

高鴨神社 新嘗祭

奈良県、御所市(ごせし)

日本という国の起こりに非常に深く関わっているこの地に縁あって行って参りました。

 

目的の場所は“高鴨神社(たかかもじんじゃ)

全国鴨系神社総本宮。京都の上賀茂神社、下鴨神社のルーツにあたります。

少なくとも弥生中期(約三千年前)には祭祀をおこなっており、

この地にはさらにさかのぼって縄文晩期には文化があったとの事。

記紀によると「大御神(おおみかみ)」と名のつく神は三柱

天照大御神(あまてらすおおみかみ)、伊邪那岐大御神(いざなぎのおおみかみ)と

高鴨神社の主祭神、迦毛之大御神(かものおおみかみ)しかおられず、

「よみがえり」を司っているとか。

それを聞くだけでもルーツの古さ、神力の強さが想像できようというものです。

 

「カモ」は「カミ」の語源とも言われ、「カモす」という言葉から派生しており、

「カモす」とは『気』が派生した様を表す言葉で、

まさに高鴨神社は清浄な気で満たされているような気配を感じる場所でした。

境内に入ってからずっと背中の産毛が泡立つような感覚がありました。

 

その高鴨神社の宮司、鈴鹿義胤さんとは一昨年、名古屋の日本料理店出雲

での古事記の勉強会でお目にかかり、

その語り口、膨大な知識、深い洞察力に圧倒され、魅了されてきたのですが、

今回、新嘗祭に声をかけて頂き、

いろんな予定をやりくりしつつ、11月23日勤労感謝の日に奈良、葛城の地に行ってきたという訳です。

(ちなみに勤労感謝の日は新嘗祭を執り行う日という意味で、固定休日なのですよ。)

 

日本人にとってまさにルーツの中のルーツといった場所で、

そのルーツに関わる祭りを体験してきた訳です。

 

その後、直会(なおらい)にも参加させて頂き、

瓶子(へいし)から注がれ、カワラケのうつわで受ける白酒と、新米のごはんを

折敷(おしき)のうえでいただく

まさに古代にさかのぼり、神とともにある時間を過ごさせて頂いたのでした。

 
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2013年

10月

16日

イエイツ・テーゼ

美術に対する僕のアプローチが変わってきているのをこのところ感じる。

 

ここ2年程鋳造での作品制作をやれず、

今回の個展は久々に新規制作を行った。

実際に制作しなかったからと言って制作に関わるコンセプトの積上げや

思考に対するアプローチは変わらないのであるが、

実際に制作してそこに自分の持つ言葉を当てはめていくと

なんだか自分が持つ美術に対する触感みたいものが変わってるんではないかと

今回すごく感じた。やはり僕は作る人間なのだなあ。

 

学生時代から美術というものに取り憑かれて、

現代美術というものに関わり、見てきた。

そして現代美術というものが西洋美術に端を発する以上

西洋美術のお作法に則っているんだと感じた。

つまり、「観察して描く」という事からはじまり、

「対象を認知し分析する」という態度だ。

そこには対象と自分との間に距離がある。

 

一方西洋以外の美術はどうなのだろうか。

西洋に影響される以前で考えなくてはならないのではあるが、

アフリカの仮面はどうか、アメリカインディアンのトーテンポールはどうか

アボリジニの絵画はどうか、そして日本の仏像はどうか・・・

それは作るという事自体が祈りとともに対象の中に中に入っていく行為である。

対象となるものがあまりに大きい存在のため

描く、作る、という行為が祈る、捧げることと同義になっている。

エリアとしてはヨーロッパを中心とする西洋文化より、

アジア、アフリカ、オセアニア、南北アメリカを統合した

これらの文化を持つエリアの方が広大なため、

こちらの方が人間が自然派生的に持つ文化感覚としては普遍性を持つのではないか?

いや、ヨーロッパもルネサンス以前、もしくは民衆の信仰態度を考えると

そうだったんじゃないか?とケルトやバスクのことがふと頭をよぎり、感じた。

 

最近そんな事を感じていたので名古屋で日本料理店、

出雲を営む博覧強記な友人、大谷重治氏に投げかけてみたところ

「それね、イエイツ・テーゼっていうんです。」と教えてくれた。

フランセス・イエイツが確立した「理性知」と「魔術知」の二元論。

僕は今「理性知」から「魔術知」への過程を体感しているのかもしれない。

また宿題をいただいた気分だ。

今朝も5時前からディープな会話で盛り上がってしまった。

ありがとう、頼りにしてます。シゲちゃん。

 
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2013年

5月

30日

フランシス・ベーコン展

会期終了ギリギリになりましたが、行ってまいりました。

フランシス・ベーコン展

ずーっと気になってたので行けてよかった。

 

フランシス・ベーコンは「大好き」という人と「大嫌い」という人と

極端に分かれる気がします。

中途半端に見ることを許さない。

「ふーん、そうなんだー。」という感想を許さない。

そんな感じがします。

 

歪む顔、叫び声、融けていく肉、血、崩れた形、不協和音・・・

人が生きていく中でなるべくなら遠ざけたい状況、感覚を

徹底して表現していく。

実際それはどこかにある架空の世界ではなく

自分自身の心の奥のドロドロしたもの、

人間として生きていく以上どうしようもなく内包している

生臭い本能から派生する欲望

これは自分の一部だと無自覚なまま過ごして来た

その感覚を目の前に突きつけられるのだから

やはり中途半端に見ることは許されないのです。

 

とっても見たかった絵何点かが来てなくてザンネンではあったけれど

久々に充実の展覧会を見た感じがしました。

これから豊田美術館に会場が移ります。

興味がありましたらぜひどうぞ。

 

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2013年

5月

15日

鴨居玲から

先日、信濃美術館での企画展

「ひろしま美術館コレクション〜印象派の巨匠達とピカソ〜」展

を見て来て以来、小さな絵画の一枚が頭から離れない。

いや正確に言うとその一枚を見たことで引き出されたその人の作品群が頭から離れない。

印象派の巨匠でもピカソでもなく、

母校の先輩にあたる人なのだが・・・。

 

鴨居玲(1928〜1985)

 

 

学生時代に石川県立美術館で大きな回顧展があり、

それを見た衝撃を思い出した。

 

あのころ、美術なんてホントに何も知らなくて(今も知らないけど)

だけどなぜか美大には受かっていて

まわりには小さいころから美術の道をめざしていたヤツらがいて

その頃の僕から見ると才能にあふれた友人達がいて

ほんとに美術のなんたるか、何故作らねばならないか

自分はなにを作るのか、作りたいのか、まったくわからなくて・・・。

 

あの頃見た衝撃はもちろんその鴨居玲の絵の才能に対してということもあるが

その破滅へと向かう世界観ではなかっただろうか。

 

内側に孕む狂気、襲いかかる孤独、死への渇望、生き続けることの恐怖

そしてそれらすべてをどうしようもなく求めてしまう欲情に近い感覚

 

いまでこそなんとか言葉に多少は置き換えることができる。

その破滅へと向かう世界観にシンクロしてしまう自分の存在を肯定できる。

作るということが破滅へと導くこともあるのだと理解できる。

あのころはただモヤモヤしていた。

想いの吐き出し方がわからなくて、もどかしくて苦しかった。

 

今、自分の作るべき物が目の前にあり、作りたいものが少し前に見えている。

モヤモヤしていたものはあるエッジを持って形作られている。

僕の作るものは僕を破滅へとは導かないだろう。

しかしその世界を憧れてしまう抗いがたい欲望というものも実感できる。

 
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2013年

4月

15日

御頭祭

御頭祭、オントウサイと読む。

諏訪の神事である。

 

今年は大変 諏訪の神様からのお引き寄せが強いようです。

それも古い信仰の方の。呼ばれてるかな?ちょっとうれしいな。

 

12月の記事「ミシャグジさま

3月の記事「ミシャグジ様の次は

に引き続き今回。

 

御頭祭は諏訪大社前社の十間廊という場所で執り行われる神事で、

祭られている神様は以前に書いたミシャグジさまとされている。

さすが古い信仰だけあって、ワイルド。

お社などは無く、御杖柱と呼ばれる木の柱に直接神様に下りてきて頂く。

何よりこの祭りを奇祭と知らしめているものは、捧げものに並ぶ鹿の首だ。

その昔は75頭からの鹿の頭が並んだという。

 

ネットで御頭祭を調べると、このお祭りとユダヤとのつながりを示したものがあり、

御頭祭の由来

「なんだかなあ〜?』なんて思っていたが、

来賓客の中に「在日イスラエル大使」がいて、玉串を奉納していた。

名前を読み上げる際にちゃんと役職を言った所をみると多分公務だ。

なかなかなぞの多い神事で、好奇心はくすぐられっぱなしだった。

しかし諏訪は大変に興味深い所ですなあ。

 

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2013年

3月

27日

青春

娘の受験も終わり(無事合格しました。)

ようやく春のお迎え準備完了という今日この頃です。

気温も上がってまいりました。身体が動きたくてうずうずしておりますね。

 

先日、娘の合格報告を金沢のじいちゃんばあちゃんにして参りました。

そりゃあ喜んでくれました。僕も親孝行になったかな?グッジョブ娘!

 

その帰り道、僕が大学時代からお世話になり、卒業してから2年弱居候をしていた

(ここの工房は“弟子”という扱いではないので、“居候”もしくは“スタッフ”と呼んでおりました。)

愛知の陶芸家 鯉江良二さんと、土岐の陶芸家 伊藤慶二さんの展覧会が

富山市の楽翠亭美術館(らくすいていびじゅつかん)で開催されておりましたので、

息子、娘と3人で行って参りました。

鯉江さんの所へは、ウチの子供達も小さいころから何度も遊びに行き、

実の孫のようにかわいがってくれているのです。

 

伊藤慶二+鯉江良二

土に宿すかたち ーパイオニアたちの仕事ー 展

 

そこで見た懐かしい作品の数々・・・。

僕が制作に関わっているものが沢山あったのです。

 

学生の頃、学校では鋳造を学んでおりましたが、

鯉江さんの人間性と作品とに惚れ込んで畑違いの陶芸の世界に足を踏み入れた訳です。

もちろん陶芸に関するいろいろ、土練りや窯詰めなどもやりましたけれど

鯉江さんからは「おまえは学生の間ずっと鋳造を学んできたんだからここでやってみろ」

という指示をいただきました。

大学というシステムの中でそれをやる事は簡単ですが、

システムから放り出されると物凄い大変なんですね。

それをよくわかっていて僕にやらせてくれたのでしょう。

道具の制作からシステムの再構築から・・最低限工房の仕事をこなした上で

やっていると結局1年くらいかかってしまいました。

しかし、その時期にシステムを再構築し、自分なりの方法論をみつけたおかげで

今の制作のスタイルが確立できました。

 

僕が鯉江さんの工房で鋳造をできるようにした事は鯉江さんにとっても

制作のインスピレーションになったようです。

それから鯉江さんの作品にいくつも関わらせて頂きました。

 

そのうちの一つ「森ヲ歩ク」が会場内の日本庭園内に展示されていたのです。

すごく美しい展示でした。

 

 

見ているだけでその頃の葛藤や悩みがありありとよみがえってきます。

まさに僕の「青春」がそこにありました。

後から美化する事はできるけど、やはり青春のまっただ中って苦しかったような気がします。

やりたい事とやれる事の葛藤、将来の不安、社会への憤り・・・。

 

いま、息子と話しているとまさにその不安定なまっただ中にいるのだなと感じます。

 

「がんばれよ、それを乗り越えると強くなれるから。」

 

そんな事を思いながら、今から突入する娘と、まっただ中の息子

それからそのさなかにフラッシュバックしている自分、

不思議な感覚でゆっくり時間をかけて展示を見てきました。

 

 

 

6月16日までのロングランです。機会がありましたら是非。

 

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2013年

3月

06日

ミシャグジ様の次は

先日3月2日に諏訪に勉強に行ってきた。

昨年12月に信仰の古い形態を学んできたその続きである。

(12月10日投稿、「ミシャグジ様」

今回は建築と彫刻に特化して掘り下げていく企画。

諏訪は天下に名だたる建築、建築彫刻の宝庫だったのです。

現存する建築を追いかけて教念寺→八劔神社→甲立寺→足長神社→手長神社

前回同様、八剱神社、手長神社の宮坂清宮司の解説。

 

やはりこの方の話は猛烈に面白い。圧倒的な知識、美意識、郷土愛、信仰、話力。

ぐいぐい引きつけられてあっという間の4時間でした。

 

手長神社、足長神社の由来となっている手長、足長とは?

宮坂宮司の言葉を借りて言えば

「もともとの土地神、国つ神、荒ぶるもの、まつろわぬ者の一族。

ミシャグジ様同様、古来からの信仰」とのこと。

足長は足しか濡れないから足長の背中に手長が乗って、長い手で魚貝を採るのだそう。

古事記にも、枕草子にもその表記が出てくるそうで、

僕にとってはたまらなく魅力的な世界だったのでした。

 

諏訪立川流(建築の流派)の立川冨昌の彫刻より、

強烈な表現力、存在感。やはり、昔の方のしっかりした仕事は素晴らしいですね。

 

 

これは北杜市にあるもので、諏訪にはありません。残念。

 

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2013年

1月

21日

試験前にマンガを一巻から読んでしまう…ような。

経験ないですか?

試験の前にもう何度も読んだはずのマンガを読みはじめてしまう事?

もしくは小説でもかまわない。

または普段気にしていないのに無性に部屋の散らかり具合が気になって

勉強しなきゃいけないのに掃除をなぜか始めてしまう事・・・。

 

いきなり何の話かって?

 

今、展示会直前なんですよ。下にも書きましたが。

1月30日から伊勢丹新宿店。

仕事も大詰めで忙しい・・・はずなんです。

いわば「試験前」の状態。

 

なのに、作り出しちゃったんです。ちくちくと。

本業じゃない制作物を。

いえね、仕事はやってますよ。じゃないとお待たせしてる人に申し訳ないですからね。

または、仕事干されちゃいますからね。やってます。ちゃんと。

毎日仕事が終わって10時か11時頃から2、3時間ずつこつこつと、ちくちくと。

素人ですからアーでもないコーでもないって考えながら。

明確に作りたい大きさや機能は決まっているので

(あまりに明確すぎて売ってるものでそれを満たすものを探すのも難しいほど)

寸法も自分で全部決めて。

 

材料は昨年の夏前に購入してあったんです。

ずっと作りたくてしょうがなかったんです。

 

んで。

 

できました。

 

仕事用の鞄。

 

 

 

金工作家ですから、ボタンは自分で作りましたよ。

自分の書いた文字でサインを彫り込んで。

 

 

非売品です(笑)

 
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2012年

12月

10日

ミシャグジ様

12月9日、

諏訪へ古い信仰の形を学びに行ってきた。

 

この日は長野市内での反原発デモの日でもあり、毎週金曜日に行われるデモにはできる限り参加している身としては、非常に申し訳ない気持ちもあった。

しかしこれからの生き方の指針として、また、制作のテーマとして古い信仰を知る事は非常に重要な気がしているので、雪の降る中を諏訪まで片道約1時間半、車を飛ばして行って参りました。

 

 

解説してくださる諏訪の手長神社、八剱神社の宮坂 清宮司〔諏訪湖に御神渡り(諏訪湖が全面結氷し、膨張収縮を繰り返してできる氷の道)の神事(その氷の道を見てその年の豊作、不作など多々占う)を司る宮司〕のお話が大変面白く、古代の諏訪の地に降り立ったような思いがした。

(御神渡りの様子)

 

国内にある最も古い神社の一つとされる諏訪大社、その諏訪大社の起こりよりさらに前からこの地に宿っていたミシャグジさま。宮坂宮司は「あらぶる国つ神」と呼んでいたが、僕が制作する時に常に気にしている「人間の原型」「意識の原型」の糸口になる気がしている。

 

僕の中の好奇心がぞわぞわしているのを感じる。

 

わかりやすい動画を見つけました。気になる方どうぞ。

 
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